2008年07月04日

短編演劇アンソロジー四 志賀直哉篇「正義派」についての考察

正義派

電車がブレーキをかけたが間に合わず
女の子をひき殺してしまった

避けられない事故であったとする会社側と
あれは避けられる事故であったと告発する、その会社に雇われてる線路工夫

◎裏から見た世界
正義派というからには
正義とは何ぞや、みたいな提示がなされるのかな
と思われましたが
そうではない様子
正直、よくわからなかった…

◎小説の世界
正義とは…?ではなく、
正義は何のために果たされるのか
何を守るためになされるのか
という問いかけを感じた

少なくともこの物語では誰も救われていない

自分の名誉欲を満足させるだけで、
世の中は変わらないし、
女の子の母親は、告発の行方がどうなろうと、娘を失った事実は変わらない
手を離してしまった自分を責め続けるかもしれない

線路工夫も英雄扱いを受けるのは、ほんの一瞬で世間はすぐに忘れる
己の名誉欲に満足できるのも、ほんの一瞬
酒を飲んで満足感を求めても覚めれば、その反動で物足りなさを更に深くする
さらに明日の我が身を憂うようになる

昨今の食物偽装事件にからみ
告発する社員の方々の姿をテレビで見ますが、それを思い出した
どこか高揚として荒々しく震える語気とある種の嘘くささ
真剣さが増す程に、下手なドラマを見てるような胡散臭さを感じたのを
告発した彼らもまた荷担していた訳で、世間の取り上げ方は微妙だし、
会社の業績が落ちたり廃業になれば恨まれたりもするかもしれない
良いことをしたはずなのに、
そんな彼らを新たに受け入れる会社はあるのか…

現実は不条理に満ちていて、
正義が胡散臭くなる

◎表から見た世界

労働者と管理者の間にある格差とか
会社にやとわれの身でありながら不正を告発するという労働者のジレンマがあまり色濃くなくて、立場が同等に見える
真剣に何かをかけた告発ではなく、気楽な野次に見える
会社の中にいる人たちではなく、外側にいる人たち
言わば現代風に言えば、工夫が派遣労働者、または日雇い労働者に見えた

その仕事だけ
その期間だけ雇われてるから、野次れる
でもだからこそ簡単に首をきられもする訳です

最近、日雇い労働者のネットカフェ難民についての番組などを見ますが
想像以上に厳しく

社員にならないか…という誘いは工夫達にとっても大変魅力的なのではないかと思います

腕一本で稼いでいるとは言え
その腕の変わりはいくらでもいる

粋がってはみても、負け犬の遠吠えに見えて悲しい

でも身軽さを感じるから同情はできなかった

正義の不確かさ
訳の分からなさ
に胡散臭さを感じるようです

女中さんの
話を聞く時の興奮の様子と店じまいの時の冷めた態度
あれが正義に対する世間の扱いなのだろう

女の子が電車にひかれそうになった時は、
母親はもちろん、運転手も線路工夫も
みんな
「助けたい!」
という気持ちだけだったと思う
ここには正義があったかもしれない

でも結果、女の子はひかれてしまった…

その後はそれぞれの思いが割れ、
そして何故そうなったのかが裁かれていく
事実は置き去りにされて
でも女の子が死んでしまったことは変わらない
posted by ななこ at 11:11| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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