2008年08月14日

連続ワークショップ「愛という不条理」後半戦 3 発表♪

いよいよ発表の日

早めに行って二回程通す
代役(?)のS君と

今回参加者の取り組む作品が偏りまして
子供の時間は、何と4人もやります
だから相手役の劇団員のNさんを奪い合う状況です

なので
それ以外は劇団員S君に手伝っていただきました

ありがとうございました!
m(_ _)m

そして肉練と発声を今日はサクッとやり
また個別稽古
Nさんと、一度通してもらってから

どうしても集中力のキレる後半をできる限り克服するために
そこを三回くらいS君に読み合わせをしてもらいました

そしてカレンさんのことをグチってみたりして(笑)

戒められたり
励まされたりして(笑)
お世話になりました

そしてS君に健闘を誓い
Nさんのもとへ

発表は4番目…
お腹が痛くなってきた

またもやグズグズになりそうになったが
前回よりもこらえられたかと…

演出の原田さんに言われたとおり
ヒールを履いてみたら
あら、不思議

毅然としていたい

という気持ちが生まれ
立ち方や歩き方が変わりましたよ

多分…

最近は履きなれてないので
若干ふらつき、ついでにセリフがとんでったのですが…

しかも忘れるはずのないセリフを

やばい…
と心の中で葛藤してたら
見事なタイミングでS君がプロンプを…!
ちょっと感動
さすが、もう一人の相棒
見てくれてます

話し合って作る良さと
話し合わないからこそ見える世界

その2つを同時に体験できたなぁ

奪い合う状況も
それはそれで勉強になりますね


日本人は叙情的なのが好きだよね

と原田さん

はいぃ
私の書いてきた文章がまさしく叙情文ですからねぇ

つくづく
私は日本人です

それだけではダメなんだけど

目の前の事、人にではなく

「世界に対して怒れ」

南京のキリストやった時にも
何度も言われたのに

世界を知るために
まずは谷崎潤一郎と三島由紀夫を読みます

どちらも数ページで挫折した過去があります

本当に日本人的感覚が好きなんだね、私
再認識

でもでも

いい天気ですね
この一言でいろいろなものを見る

すすきを見たら
秋だなぁと思う

風鈴の音で涼を感じれる

そういう日本人の意識
いいでしょ

それをハッキリ感じるためにも
世界を知っていきたいと思います

あ、その前に小泉八雲だい

今回もいろいろとお世話になりました
ありがとうございました!
posted by ななこ at 21:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

連続ワークショップ「愛という不条理」後半戦 2

最後の稽古
明日は発表です

「根底に愛がある」
核がボヤボヤしているようだ

輪郭すら定まらない

近づこう、近づこうとしているからか

なぜ、なぜを繰り返して追求してみよう

本当に、何で?
何で敢えてこういうことを言うの?
何で追いつめるの?
と何でのオンパレードですから

「愛」ってなんだ?
愛は人によって違う
感じ方も
表し方も

愛それ自体に意味はなくて
愛を前にして、どう生きるか
なのだろう

そうするともう
自己愛でしかないような気がしてしまうが、
所詮はそうなのかもしれない

でも愛に気づかなければ、
何も生まれない

だとすると自己愛とばかりも言えない

愛してるとか
それに似た言葉は
何を伝えたくて言うのか
相手を縛ったり
楽にしたり

終わらない議論は、そこにある言えない言葉を遠ざけるように
聞きたい言葉を探すように
続いていく

言葉で明確にしなくても
状況が明らかになっていくのは何故だろう

そしてそれらを表す方法とは…

とても難題であります
posted by ななこ at 23:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

連続ワークショップ「愛という不条理」後半戦 1

「もっとドラマチックなんだよね。
もっと深く探らないと。
100メートルをマラソンのペースで走ってる感じなんだよ」

その後の解説を聞いて、なるほどと
マラソンの意味がよーくわかった

ハッピーエンドのその先にある物語

というテーマの映画を高校生のころ見に行ったことがあるんだけど

何か思い出しました

そこで終わらせてあげてっ

と聞いてて思うもん

でも人生は
そこからどうしていくか
だものね

セリフの流れに沿って
壮大なるドラマの解説をしていただきました

それを聞くだけでも
ぐったりですよ

そして聞いて理解したからって
あぁさいですか
さいですか
と、できるわけじゃない

それを如何にして体現していくか

如何にして

が、どれだけ難しいことか

さらに
盛り沢山のサイが投げられましたからね
まさしく
「すっかりこんがらがっているので
整理しなければならないけど」
という状態です

絶望かぁ

絶望の底に落ちれたら、案外そこは安住な住処となる気がする
でもなかなか底にはいけない
そっと覗いては震えてる
そんな時に支えになるのは些細な日常だったりする
不思議と、
起きなきゃと朝起きて、仕事に行って、雑談に笑い、昼食の後にはコーヒーを飲む
いつものとおりに
何となくでも繰り返して行くうちに
バランスが戻ったりしてね

でもその日常すらなかったら…

そして
私がこのテキストを通してわかったのは
「愛」というものに
今、大分、否定的になってるなぁ
ということ
胡散臭いみたいな

男女の恋愛ドラマなんか、
今、最強に興味がない

ま、だからこのテキストを遠ざけたんだけどさっ

だがしかし
そう単純ではない愛の物語もあるわけですね


絶望と愛を探す旅にでます

探さないでください


ぁ、月曜日には帰ってきます(笑)
posted by ななこ at 12:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

連続ワークショップ「愛という不条理」前半戦

モノドラマワークショップに続きまして、
連続ワークショップにもお邪魔してます

物語を読みとる能力を磨き
物語をどう成立させるかという意識を持つ


目標にし続けます

・セリフどおりに無理に感情をつくらないこと
セリフに合わせて修正しないこと

・立ち向かったときにどうあるか
それを相手役や観客と共有する

・核をさぐる
核がセリフを言わせてるのだから
セリフありきの芝居に取り組む演出や役者は、逆行をしていく作業を行っている

そして
リアクション
リアクション
リアクション…
……


〇テキスト選び〇
今回のテキストは
・ダニーと紺碧の海
・えれくとら
・子供の時間(3シーン)
・奇妙な幕間狂言
・エセルとジュリアス(3シーン)

「えれくとら」と「奇妙な幕間狂言」は
キンダーさんの舞台で拝見したので
とりあえず却下
0から始めたいですからね
ここはやはり。
後を追ってしまいますしね。どうしても

興味があるのは「エセルとジュリアス」
ちょいとググってみるだけでも
興味がかき立てられます

やってみたいのは
「ダニーと紺碧の海」
ロバータはとても私に近しい気がするから
でも振られそうにない役と思われるので
ここで……

ロバータが父親の事を話し始める気持ち、よくわかるし
私にも似たような経験があるし
(中身は違いますよ)
説明のつかない、この告白衝動を確かめてみたい!

しかし…
結局、悩んだ末に「子供の時間」に決めました

一番遠くにおいていたテキストだけど
だからこそ冷静に取り組めるかもしれません

〇取り組み〇

3シーンあるうちの、2シーン目をやるのだけど
1シーン目の子供に対する物言いに疑問を感じたので
成り行きを知りたくて
戯曲を全部読んでみる

私は大人たちよりも
子供たちの言動に興味がかき立てられます

特にメアリー
甘やかされた我が儘な問題のある子
と烙印を押されてますが、
どうして彼女がそうなったのか

どうしてこんなに他人の意識に頼るのか
愛されたいと渇望するのか

愛するが故に生まれる憎しみがあるとすれば、
彼女は愛されたいが故に生まれた憎しみなのか…?

メアリーこそが落ち着いた生活を何より求めていて
探しつづけていたのでは

相手の気持ちを確認したい欲求が高まりすぎて
行動が過激になっていく…

カレンさん…
学校とは何のためにあるのでしょう
先生の名誉?
先生の自己実現?

なぜ学校が軌道に乗るまで結婚を控えたのか

なぜ、マーサに結婚のことを言わなかったのか

結婚してれば…
マーサに話しておけば…
モーター夫人を邪険にしなければ…

私が後悔を募らせても仕方がないが

メアリーに手を尽くしたのは確かだろう
でも問題のある子発言はどうしても気になります

問題が勃発してから
子供たちの話題がでないのも


人は愛だけでは生きられない

社会に生きてる以上、関わりを持ち続けるわけで
社会に関して無意識だったとしても
常につながりをもっている

社会に振り回されずに、対峙できるか

振り回されると
正しさに固執してしまうのではないか

正しさと善はちがう
正しさは悪も生む


正しさの追求の前で
子供たちの心がないがしろにされていく

正しさの追求が
自己弁護になりはてる

人は弱いね

でも虚勢を張ってでも
強くならなきゃいけない時もあるだろうに
大切な誰かを守るために

清廉潔白であり続けることなどできない
単なる自己満足に成り下がるならば

むむっ
よい感じでこんがらがってきましたよ

視点を戻そう

カレンが求めたものは何か

視野が開けた瞬間に何を見たのか

ふぅ

それにしても
メアリーは
ロザリーは
どうなるのか
彼女らのこれからの人生のが長いんだぞ
大人たちよりも

他の子供たちも…

子供が大人の顔色を伺い
それをよしとする大人のエゴ

気をつけなくては…
posted by ななこ at 12:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

モノドラマワークショップ 7日目、8日目

7日目

白、抜きすぎた…?

いや、
「白になりすぎ」というダメだしを
違った風に捉えていたのかもしれない
私ってば

もう一度、組み立て直す

作ってはこわし
作ってはこわし

が、楽しい…かも♪

客観的にとは思いつつ、
大分、白に偏った見方をして
物語を捉えてた

白を通して物語を読み進めてた

モノドラマはそれでは無理が出てくるし、
観客に物語を渡せない

だからこその客観性

他の視点でも読んで、
多角的に捉えて直しましょ

後は1日、いよいよ発表

それまでに2日もあるじゃないですかっ!

やるぞー


1日早く終わる二人の方の発表あり
面白かった!
もっと聞きたい!と思いました

8日目

発表の日

昨日ほどではないが緊張…
舞い上がってしまった
後半はフラフラになり、ある意味、力は抜けたけど


「感情をさがしてる」
というダメに、ものすごく納得
なるほどです

このセリフが何故言えるのか

そんなこと言えないよと思った時
そのセリフとどう向き合うか

私は何とか言えるようにするための術を探して
言えるための動機を見つけようとしてたなー

語り手=聖母マリア
という命題が本当にわからなかった

でも、私はこの物語を見守るのではなく、
支配しようとしていたのではなかろうか
と思った

支配者なんて大嫌いなのに
気づいたらなってたなんて…

だって見守るより、支配する方が簡単だから
難しさから逃げてたなぁ
こわいね。人の弱さって

もっとタフにならんとね


見守るってのは
なかなか難しい
超えてる存在だ

だって、ただただ見守るって相当ですよ

やっぱり見てたら
何かを言いたくなったり
応援したくなったり
はたまた、違うんじゃない?と否定したくなったり
何かを働きかけたくなる

見守られる側としても
ただ見られてるだけだと
気味が悪いし

神はいつも見ていて
でも何をするでもない
見守るだけ

でも、なぜか
その神の像の前にたつと
祈ったり
願ったりしてしまう

神が見てると思うと、悪いことできないと思う

悪いことしないために、
悪いこと=罪を知っていく

罪を罪と知る心をもつ

それは幸福も不幸ももたらしますがね

モノドラマの語り手という存在の追求
この2週間で
ドアの前にすら、たどりつけなかった


神様!
苦難の道に立ち向かえる勇気を…

と、やはり神頼みをしてしまいたくなる不安を抱えた私

この心境って…?

終わりませんよ
まだまだ

がんばろ

打ち上げが豪華でした♪

もろもろ、ありがとうございました

モノドラマって見るのは、なかなか楽しいのにねぇ
posted by ななこ at 12:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

モノドラマワークショップ 5日目、6日目

5日目

なるべく語り手に
語り手に
語り手に…

と思いつつも
いざやってみると
がっつりと「白」に引き寄せられてしまいます

白に大分、肩入れしてしまいます

語り手としての
確固たる何かが
ないからだと

見守る存在としての
語り手のあり方

その追求

神はいつも見ている
よいことも
わるいことも

何かをくだす訳でもなく
ただ見守る

物事をどうにかしていくのは
やはり己次第

でも見守られてるという意識は大事かも

6日目

人のを見たり、
人のダメだしを聞いてても
勉強になるばかりです

テキストそれぞれに独自の色があり
探り方もさまざま

いろいろな人が
いろいろ角度から物事を見て
いろいろ方法で表現をしている

それらがぶつかり合うエネルギーを糧に
生きてます

それにしても…

演ずる本人が立場を曖昧に捉えると
すぐに世界が崩れる

とても繊細で緻密な作業です


少しでも白を脱却したいな〜
posted by ななこ at 21:45| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

モノドラマワークショップ 3日目

3日目

ひとりづつ、やってみる

舞台をつくり、
音も入れてくださる
ありがたいです

が、
語れない私

役にすがっちゃうのだろうなぁ

神みたいな存在
見守ってるような…?

でも気をつけないと
今度は神を演じようとしてしまうのだ

独りよがりにならぬよう
よい加減を見つけたいなぁ

くるくると変わる自分を楽しみたいです

言葉は理解できても
表現するのは難しいさ

悩むより、取りあえずやってみます

どうしても良いお話に思えない、感動できない
今日この頃

4日目

自主稽古

テキスト別に別れて
劇団員のみなさまに見ていただきながらの自主稽古


何だかやることがたくさんあって
混乱の極みです…

楽しめ、楽しめ


語り手と登場人物が持つ情報の違い

語り手の評価

物語に入るときの体の変わり方

ミステリーと期待感
ワクワクとドキドキ

自分の内で悶々とせず、伝えるということ

無対象の中で、それらを自分で作り上げていくこと

何か恐る恐ると、
これでいいのかしらと探ってばかりいる私。

まずはもっと思いきりよく
悩むより慣れろ
です
何度も何度も繰り返してみます!

私は、
表面的なことしか見ない人間のエゴを感じるのかも

物語に

白に戻れても
また黒くなったら…
ねぇ
posted by ななこ at 16:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

モノドラマワークショップ 1、2日目

キンダースペースさんの
モノドラマワークショップへ

モノドラマワークショップは
昨年からはじまったもので
念願の初参加です

1日目は
モノドラマとは何ぞや
というお話から

朗読は言葉で表現
一人芝居は一人称で表現
とすると
モノドラマは
「物語をつくる」
という試みで講談に近いらしい

身体が現代美術のようにそこに存在していて
物語というフィクションをつくる材料のひとつになる

自分がそこにいることによって生まれるものへの追求

扱う題材は近代文学
小説の地の部分と会話部分をどう持っていくか

姿勢や立ち方

視線

居場所

総合的な空間の演出

様々なものが必要です

ひぇー

でもでもこれらは普通の芝居でも必要なものばかり

それを特化して捉えていく体験ができそうです

がんばるぞー

そして課題のテキスの
読み合わせしていく
・高瀬船
・竹の木戸
・白
・白樺のテーブル

以上の四本です


二日目

何にするか迷った挙げ句に
芥川龍之介の白に決めました

ある程度の動きをつけていただき
いざ、立ち稽古に突入

む、むずかしい…

てにをはの使い方も独特だし

文体はすっきりとシンプル

ついつい余計な装飾をつけてしまいそうになる

そして気をつけないと
地の部分がなくなっていく…


もっと策を練らなくては

そして、明確にしていこう

説明にならないように

白の抜きかた

相変わらず課題が山積みです
posted by ななこ at 23:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月04日

短編演劇アンソロジー四 志賀直哉篇「范の犯罪」についての考察

「范の犯罪」

范が曲芸のナイフ投げ中に
妻を刺し殺してしまったのは
故意か過失か

裁判劇の体裁ですすめられます

◎裏から見た世界

妻と裁判官を通して見ていたようです
だからか、范がとても嫌な男にしか見えなかった
自分を正当化するために、
周りを悪者にして、
仕方がなかったのだと
回りくどい言い訳をしているように感じました

子供が死んだのは過失かもしれないし
劉との関係も、事実はわからない
すべて范の想像の範疇にすぎないと

相手に確かめもしないで決めつけるなんて!!と

裁判官が范の心の内に迫る様子は
誘導尋問に見えて怖いなぁとも思いました

質問の運び方によっては、被告人を限りなく黒く持っていけるのだなと

来年から始まる裁判員制度のことも思い
裁判の難しさを感じました

どれだけ感情に流されずに事実を見ることができるのか…
自信ないです

なぜなら、裁判官が最後に「無罪」と言った時に激しく動揺しましたから
絶対に有罪だと
確信してたもの私…

何だか裁判官に裏切られた気がしてしまいました

何故、無罪なのか…
帰り道に考える

状況証拠が曖昧である以上、無罪なのか…

有罪よりも無罪の方が、より范を苦しめるからじゃなかろうか

壁を破り続ける人間は即ち、破り続ける壁を必要とする
有罪はその壁を与えることになってしまう…から?

◎小説の世界

舞台上で生きてた役が小説では存在しない、若しくは少し語られるのみ
奉(助手)の役割の相違…
范の人物像の相違
ハナちゃんの存在


そこにキンダーさんの思索があるはずです

小説の范は言わば、超えている感じがしました

は目の前で死んだ妻のことよりも
自分が故意にしたのか過失だったのかに
こだわる

つまりは
自分がどうしてこのような過ちを犯したのかにこだわる

妻を殺したことよりも
自分が何者であるかを見失うことをおそれているのか?

だから自分の中で整理し
全てを理解したがってる

自分の中で納得できればそれでいい

実体としての妻はもういない
だから妻の存在もどうとでもできる
妻を完璧に支配できる

そんな自己完結を感じた

妻がした不思議な顔
それを自分に殺されるかもしれない恐怖と語るけど
本当は不思議な顔をした妻に対する自分の恐怖心を妻の顔の上に見た
のではなかろうか

ラストを敢えて無罪としたところに
何か反発心を覚える
なぜ無罪というラストを選ぶのか

自分が正しい人間と思っているのか

◎表の世界

劉が范の妻に言った
「故意だろうが不注意だろうが赤ん坊を殺したことには変わりはない」
と言う言葉は
范にも当てはまる

妻は法的な罰は受けず、が、後に罪を告白したけど、実際どうだったのかはわからない
しかし実際どうあれ
一度でも
「この子さえいなければ…」
と願うことがあったなら
自分のせいだと自分を責めるものなのではないか
それがすでに罪であると

范も
ナイフが妻の喉を刺すまで
死んで欲しい
殺したい
とは想像しても
殺すことは考えていなかった
しかし、死んでほしいという願いが誘因していたかもしれない
しかし范は行為と思いを別々なものとして逃れた

妻は奉に救いを求めた
が、きっと受け入れられなかった
ように思われた
絶望に落とされたのではないか

考えてみると
奉と妻のやりとりも
ハナと妻のやりとりも
范の口から裁判官へ語られたもの

まさか立ち聞きしたようにも思えないし、
そう考えると
奉はもうひとりの范
なのだろうか
妻を愛する自分の心うちを投影して語る

范は実際の妻は憎むべきものとした
しかし心うちでは愛していた
その相反する思いが彼を追い詰めた

ハナちゃんは妻を憎む自分の投影
范は憎むという行為が自分にあるのが許せないのだから
それを彼女に投影して語る

自分の中にあってはならないものは
自然に沸き起こる感情さえも否定して
他者に押し付ける

受け入れられない弱さを感じる

生身の人間が
范の言葉を語ると、やはり言い訳に聞こえてきて腹立たしい

ただの自己弁護じゃん

「どうしても妻を愛することができない、自分に愛されない妻が、段々に自分を愛さなくなる、それは当然だ」

愛してほしい
という悲鳴に聞こえる
そして、
どうせ誰にも愛されないのだからと、絶望する前に予防線をはっているように感じた

舞台のラストは
お互い同意の上だった
という風に見えた

そうすると妻は
范をとても愛していたことになる

その愛に気づかず范は
殺してしまった

その意味を考えもせずに

例え、無罪となろうと
彼がこの先に歩む道は地獄だと思う
posted by ななこ at 13:54| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

短編演劇アンソロジー四 志賀直哉篇「正義派」についての考察

正義派

電車がブレーキをかけたが間に合わず
女の子をひき殺してしまった

避けられない事故であったとする会社側と
あれは避けられる事故であったと告発する、その会社に雇われてる線路工夫

◎裏から見た世界
正義派というからには
正義とは何ぞや、みたいな提示がなされるのかな
と思われましたが
そうではない様子
正直、よくわからなかった…

◎小説の世界
正義とは…?ではなく、
正義は何のために果たされるのか
何を守るためになされるのか
という問いかけを感じた

少なくともこの物語では誰も救われていない

自分の名誉欲を満足させるだけで、
世の中は変わらないし、
女の子の母親は、告発の行方がどうなろうと、娘を失った事実は変わらない
手を離してしまった自分を責め続けるかもしれない

線路工夫も英雄扱いを受けるのは、ほんの一瞬で世間はすぐに忘れる
己の名誉欲に満足できるのも、ほんの一瞬
酒を飲んで満足感を求めても覚めれば、その反動で物足りなさを更に深くする
さらに明日の我が身を憂うようになる

昨今の食物偽装事件にからみ
告発する社員の方々の姿をテレビで見ますが、それを思い出した
どこか高揚として荒々しく震える語気とある種の嘘くささ
真剣さが増す程に、下手なドラマを見てるような胡散臭さを感じたのを
告発した彼らもまた荷担していた訳で、世間の取り上げ方は微妙だし、
会社の業績が落ちたり廃業になれば恨まれたりもするかもしれない
良いことをしたはずなのに、
そんな彼らを新たに受け入れる会社はあるのか…

現実は不条理に満ちていて、
正義が胡散臭くなる

◎表から見た世界

労働者と管理者の間にある格差とか
会社にやとわれの身でありながら不正を告発するという労働者のジレンマがあまり色濃くなくて、立場が同等に見える
真剣に何かをかけた告発ではなく、気楽な野次に見える
会社の中にいる人たちではなく、外側にいる人たち
言わば現代風に言えば、工夫が派遣労働者、または日雇い労働者に見えた

その仕事だけ
その期間だけ雇われてるから、野次れる
でもだからこそ簡単に首をきられもする訳です

最近、日雇い労働者のネットカフェ難民についての番組などを見ますが
想像以上に厳しく

社員にならないか…という誘いは工夫達にとっても大変魅力的なのではないかと思います

腕一本で稼いでいるとは言え
その腕の変わりはいくらでもいる

粋がってはみても、負け犬の遠吠えに見えて悲しい

でも身軽さを感じるから同情はできなかった

正義の不確かさ
訳の分からなさ
に胡散臭さを感じるようです

女中さんの
話を聞く時の興奮の様子と店じまいの時の冷めた態度
あれが正義に対する世間の扱いなのだろう

女の子が電車にひかれそうになった時は、
母親はもちろん、運転手も線路工夫も
みんな
「助けたい!」
という気持ちだけだったと思う
ここには正義があったかもしれない

でも結果、女の子はひかれてしまった…

その後はそれぞれの思いが割れ、
そして何故そうなったのかが裁かれていく
事実は置き去りにされて
でも女の子が死んでしまったことは変わらない
posted by ななこ at 11:11| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | キンダースペース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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